Thursday, March 26, 2015

ラジオシャックの倒産に思うこと 第3回最終回


回想録を綴る予定ではないので、本編に関することでは第3回目を最後にしたいと思います。

ラジオシャックの倒産に思うことの一つには、「これからも日本のモデルの一番はアメリカ」槇原稔(前三菱商事社長)があります。

一時期製造業はじめ、日本企業はこぞって中国へ行きました。米国にあった事務所は官民の多くが閉鎖し、その代わりに中国事務所を開設したり。空洞化した結末は、米国をみれば分かります。

過去の中国への極端な動きは、ノウハウを手放す道を造っただけでしょう。

日本各地のシャッター通りと言われる商店街。米国方式の量販店の結果。しかし、ここ米国でもショッピングモールは?の 兆しが見えます。ここベルビュー市にある高級ショッピングモールもこの数年空き店舗が埋まらずに常に4−5店舗が空き店舗になったままです。一つはオンラインショップの影響もあるでしょう。安く買いたいだけなら量販店よりもオンラインショップの選択肢があります。

逆にヨーロッパの通りに並ぶ市。
ニューヨークのマンハッタンにもそうした市を見かけるようになりました。良い流れだと見ています。

言いたかったのは、槇原氏と同じで、米国にはネタがあるということ。いち早くそのネタを仕入れるための目、鼻、耳になる機能を日本は、米国に持っておくべきでしょう。それは真似することだけでなく、反面教師として学ぶネタもあります。

起こったことの分析だけでは、常に後ろをついていくだけ。真似が上手な日本と揶揄されることから脱皮はできません。

自動車の自動走行。グーグルは、GPS使った地図サービスしているから自動車自動走行なんてやっている?とんでもないベンツも発表しました。そんなリスク取らずに自動走行の安全性が多くの会社が試してわかってからでも遅くない。下手すると高級ブランドのベンツの名前に傷がつく!という考えもありますが、その逆ですね。

カーナビ含む電気系統が得意かつ品質管理、かゆいところに手が届く機能と開発が得意な日本企業が、グーグル実験を追って、一番最初に実用車発表をできないのが残念です。これでトヨタやホンダが発表したとしても、ベンツの 二番煎じになるだけですね。

挑戦にはリスクがつきもの。

ベンチャー起業のベンチャーに何をAdd(付け加える)とアドベンチャー(冒険)になるのでしょうか?少なくとも回避する引き算ではなく、Addだから足し算ですね。

ラジオシャックの倒産は、時代の流れに対応できなかった。それは挑戦をあきらめたから。

現状に満足したときから退化が始まる。
将来像が描けないときから停止が始まる。

その時が世代交代の時期。

「仕事」は「事」に「仕える」と書きます。

それは、本当の仕事ではないですね。

自分から創り出せて初めて本当の仕事。

世界用語にもなったKAIZEN(改善)は、まさしく創り出す仕事。

そんな事を改めて思った、古巣の倒産ニュースでした。

Sunday, March 22, 2015

ラジオシャック倒産に思うこと 第2回

フォートワースダウンタウンのシンボルでもあったTandy Center
 左右2棟あり真ん中には屋内スケートリンク
そして、離れた駐車場からは電車が走っていました


入社して1年後。本社転勤を命じられて独身でフォートワース生活が始まったのが80年代半ば。当時の規定で3年間、個人帰国は許されておらず、インターネットもない時代、テキサスはまさに陸の孤島のような感じでした。

情報に飢えて、家族赴任の家庭3−4軒を回って2ヶ月遅れくらいで読む日本の週刊誌も隅々まで貪り読み、日本にいた時より芸能通(?)になってたりして。しかし、ジョン・シャーリーがMicrosoftに移籍してからRadio Shackコンピューター買付部門の迷走が始まりました。

夢のある製品から無難に売れるものへ。

赴任中、世界最初のIBM互換機ノートブックを出そうと東芝とタグも組みました。後に東芝の会長にまでなられた西田さんがまだ課長でサンプルを手に商談にわざわざ来て頂きましたが、冒険をしなくなったトップは採用せず。禍転じて福となすは東芝に。その製品がそのままDynabookとして東芝ブランドでデビューすることに。

当時の店舗数からいくと各店舗用に在庫1台はもつという単純計算でも初回注文が10000−15000台発注のあるRadio Shackは、新製品のテストマーケティングとして日本企業には良いパートナーだったと思います。

所帯が大きくなると無難な方向へ。つまり守りの態勢に。

しかし、そうでしょうか?

それを、会社の規模という単純な物差しで判断はできないと思います。

それを左右するのは、

経営トップのビジョンと胆力に他ならないのではないでしょうか?

「リスク回避」ということを言いますが、あまり好きな言葉ではありません。ネガティブな氣を発しているというか成功するイメージが沸きません。裏を返せば「責任を取らない」いや「取らなくていい」道を探しているように思います。決断に出会ったときには「責任を取る」道を選ぶことに全力を傾けたほうが、良い方向につながると思います。

それが、今の日本が置き忘れているものではないかと。

肌感覚でおかしいと感じる若者が、海外に出たり、いきなり起業したり。
無鉄砲にみえて、実は的を得ていると思います。

危険なのは、それをおかしいと感じない人。心地良いぬるま湯に浸かったままで、気がつくと茹でカエルでひっくりカエルにならないとも限りません。

(続く)

Friday, March 20, 2015

オムニチャンネル販売(Omnichannel Retailing)


「オムニチャンネル販売」という言葉、耳慣れてきた頃でしょうか?

オムニ=沢山という意味があり、沢山の販売チャンネルということですが、実店舗とEC店舗の融合を示唆しています。

消費者行動としてある百貨店などでは商品は見ているだけで、実際の購買はネットで。
ならば単純なショールーム化と化していまう実店舗に来店してもらった顧客に購買してもらうことに注力するという動きです。

店舗は、ショールーム化していく。

そして、

  • 商品決済、引き渡しはネットで行う。
  • 店舗は、在庫を持たない。
すると、
  • 現金出納含めて経理負担がなくなる。
  • 在庫管理負担がなくなる。
  • 店舗スペース(固定資産、電気代など)の節約ができる。
それに引き換え、接客の質向上に注力するということになります。
その先頭を走るのが米国百貨店のMacy's

大店舗化から大量販売の大型店舗出店ラッシュの時代の終焉です。

売上=店舗数&サイズ x 店舗売上

から

売上=顧客数 x 顧客売上

つまり、お得意さんをどれだけ多く、長い間持てるか=顧客の生涯価値(Life Time Value)の最大化が問われます。一時期、パソコン業界で製品価格競争から顧客の所有価値(Total Cost of Owership)にシフト。その引き金になったのが、スペース、勝利電力などにリードされるエコロジーでした。

有名ブランドをショールームとして提供できる百貨店が息を吹き返すのか?
顧客の顔が見える個店が元気になるのか?

Information Technology(IT)化といわれていた技術提供からIntenetというネットソリューション提供の時代。今までの分析は役に立たないエキサイティングな時代と捉えれる人にはワクワクしたビジネスチャンス到来でしょうか?

Thursday, March 19, 2015

ラジオシャック倒産に思うこと 第1回


私が最初に勤務した会社の小売部門であったラジオシャックが94年の長き歴史を閉じて、2月に破産申請をしました。そのうち2400店舗をスプリントに売却。スプリントといえば、ソフトバンクの孫さんですね。その孫さんに初めて会ったのが、A&Aに入社した83年の頃。コナミなどアーケードゲームの販売代理店をされていたソフトバンクを訪ねて、広いショールームに一人佇み迎えて下さり説明を受けたのを覚えています。

このラジオシャックの倒産も当然対岸の火事ではなく、これから色々なところで同じ流れが起きるでしょう。引き金は違っても世界チェーン展開している日本マクドナルドやケンタッキーでも起こっています。当時の頃を振り返りつつ、ラジオシャックの倒産に思うことを連載で綴ってみたいと思いますのでお付き合いください。

初めての勤務先がA&A Japan, A Division of Tandy Corp.という日本支社。本社はテキサス州フォートワースにあり、日本以外にも韓国、台湾、香港、シンガポール、オーストラリア、ベルギー、イギリス、フランス各国にも支社をもつRadio Shack向けの製品買付部門でした。83年当時、時代は電卓からパソコンに移り始めたまさにパソコン時代の幕開け。このRadio Shack、80年代は7000店舗以上で家電製品の小売販売を網羅。当時セブンイレブンとどちらが店の数が多いか競っていました。

そして、私が入ったA&Aという製品買付部門。A&Aは、日本の電機業界の草分けともなられた山縣夫妻がニューヨークで創設された会社でした。Made In Japanといえば粗悪品のレッテルを貼られたいた時代に夫婦でマンハッタンにショールームを開設し、当時の日本電機メーカーの製品や部品などを紹介する商社。会社を電話帳で探してすぐにわかる(つまり、最初のページのトップ)に来るようにとA&A。そこにはアジアとアメリカの架け橋になるというご夫妻の想いも込められていました。日本部品トップメーカーのひとつでもあるアルプス電気との付き合いも長いものがあります。そして、電卓にBASICを入れたPocket Computerは、カシオやシャープのOEMでした。
参照:

私が入社してすぐに担当した製品のひとつに当時大ヒットしたModel 100があります。Microsoft本社、ASCIIがソフト開発、ハードウエアを京セラが担当した世界初のモデル標準装備のノートブックでした。当時のラジオシャックの副社長でコンピューター関連のバイヤー責任者であったのがジョン・シャーリー。のちにビル・ゲイツがMicrosoftの社長へと引き抜いた人でした。


無いものを世に送り出すことで市場を創る。世の中を アッと言わせてみたいという気概というか雰囲気が売る側にも作る側にも一体感としてあったパソコン創生期だったと思います。そして、Model 100が長く私がノートブック製品を企画開発していく始まりでした。製造メーカの京セラは当時まだ稲盛さんが社長でバリバリと前線指揮をされていた時代でもあり、その後稲盛さんと会食をさせていただく機会に2度恵まれましたが、その時の組織論=アメーバ組織が今のEnLinx Partnersの”Partners”の理念の根底に流れています。今風でいえばクラウドソーシングでしょう。しかし、90年代前半にすでにそれを言われていた稲盛さんの経営者としての先見の明。これについてはまた別の機会に。

続く

Wednesday, March 18, 2015

起業家セミナー in シアトル

PENCIL覚田社長講演会 in Seattle
ペンシル社の覚田社長を福岡から迎えて、先週金曜日13日の夕方6時から「起業・独立セミナー」ということで講演を主催しました。

借金2000万円、預金残高600円、6畳一間から立ち上げた会社も創業20周年を迎え、売上23億円、130名のスタッフと日本最大のwebコンサルティング会社。

営業しないで大手企業を受注してきたインバウンドマーケティングなどの話など具体的なビジネス内容も惜しみなくシェアしていただけました。

ビジネス哲学で共有する部分が多く、私自身もそれを改めて確認できる有意義な時間でした。起業時だけでなく、ビジネスは「継続」することの難しさと大切さ。そのために不可欠な「経営理念」という哲学。日本人が案外苦手というか軽視しがちなマーケティングの重要性など。

二人が共通して目指す次の世代への「恩送り」というミッション。そのためのPENCIL ACADEMY立ち上げ。

初めての出会いが意気投合しての3時間ビデオチャット。
出会ってからシアトル訪問まで1ヶ月もないスピード感。

そして、メンターとして関わり初めてのArch For Startupメンバーとの協業イベントもお陰様で無事成功のうちに終えることができました。講演会をやることが決まったのは1週間前でしたが、32名の方々に集まっていただき、活発なQ&Aや講演会後のネットワーキングも楽しんでいただけたと思います。






Saturday, March 7, 2015

Cloud Capital - East Side Bellevue


Not sure who called Seattle "Cloud Capital."  The Cloud Marketplace is one of the main business streams and the major players have been gathering here in Seattle area.

The famous companies are Microsoft,  Amazon and Adobe .

In addition to these local companies, there are other famous companies have been gathering and expanding their operations here in Seattle area.  Those are Google, Facebook, HP and Apple.

City of Bellevue is locating in the east side of Seattle across the Washington Lake as the bed town of Seattle. In downtown Bellevue, there are many constructions going on for some new residential apartments.  Both freeways of 520 and 405 in Bellevue have been expanding as well as new toll-free service and these traffics have been very busy in the last few years.

More people are still moving into this Seattle area for business and I do believe that you will hear more business news from Seattle.