Sunday, May 4, 2014

メルマガ96号 ー ショッピングモールの終焉/私の出会い第2弾;山縣夫妻

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Vol. 96 2014年5月4日発行
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1. 今週の随感記(今週の出来事や感じたことについての独り言)
  再び就活
2.  What’s new in Seattle?(著者のアメリカ生活便り)
ショッピングモールの終焉
3. Pon Ponのポケット(公開ブログでは話せないここだけの話)
       私の出会い第2弾;山縣夫妻
4. 喫茶去(まあ一服しましょう!)
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1. 今週の随感記

先週、就活の不可解について触れたばかりですが、我が家には、大学4年の息子がいます。6月にワシントン大学卒業予定で、4月から就活で2ヶ月間日本に帰っています。

就職するにあたって相談に乗ったのが、本人の興味は何か?そこから、業界・業種に絞り、会社を具体的に探す。選択基準は、世の中の流れ・時流に必要とされているビジネスか? 企業理念、哲学が自分の求めているものと合っているか?

絞り込んだのは、ツアーリズム(観光産業)でした。それも日本を海外に紹介する。海外の顧客を日本に呼び込む。それは、海外での生活・教育が活かせることにもなる。

最終的にピックアップしたのは3社。 一番行きかった会社は、試験、研修、レポートから今週の水曜日(30日)に最終面接。そして、翌日には内定通知をもらえたそうです。絞り込んだことでの本気度だが、良い結果になったと思います。

都内のゲストハウスで共同生活中ですが、5月末までバイトに励み、お金を貯めて卒業後にどこでもいいから旅をすることを薦めています。

2. What’s new in Seattle?

日本全国各地、商店街はシャッター通りと呼ばれ閑古鳥。古くから続いた地元のお祭りも衰退。ショッピングモール、センターの時代と言われて乱立が続いてきたこの四半世紀。

それにはとても違和感を感じていて、長続きはしないだろうと観ていてその想いは今も変わっていません。

屋根のない外を歩くショッピングセンターが、マイクロソフト本社のあるレッドモンド市にあり、ミーティングをそこのスターバックス前で、日光浴びながらするために久しぶりに行ってきて驚きました。

1年以上前に倒産した大型本屋跡だけでなく、3店舗も空き店舗が出来ていました。本屋は百貨店MACY’Sの斜向い。300メートル余続く通りの反対側は、マリオットホテルがあります。その通り沿いに4店舗の空き店舗。ホテルの斜向いには映画館もあります。

説明の要らない商品の多くは、益々インタネット販売に流れるでしょう。購買年齢層も、年々高齢者へ浸透していきます。若者の多くは、最初からネット販売に抵抗はなし。

一方、モールには幼い子供家族連れの家族が顧客層ではないでしょうか?若者もいるでしょうが、実際に購買につながっているのかどうか?時間つぶしだったりして、使うのはちょっとした飲食程度だったりして。

多様化した消費者に対応できるのは、その地域、風土に根ざした地元の人々が経営するお店。四季や天候も楽しめ、顧客の家族まで分かる距離感の近いお付き合い。

食も安全で新鮮なものといえば、全国規模のスーパーで買うより、地元の魚屋や八百屋さんだったり、産地直販売。例えば、マルシェやフリーマーケット。リヤカー部隊のおばちゃんには、学生時代にお世話になりました。
上っ面な便利さや根付かないアメリカ文化に毒されない。

本来の日本風土に根ざす、生活や教育を見直す転換期にあるのではないでしょうか?幕末から150年、戦後70年。欧米型近代化の時代から脱却し、本来の日本のあるべき姿を見直す転換期にあると思います。

そんな想いをここ米国ショッピングモールの空き店舗を観て、改めて強く感じました。

3. Pon Ponのポケット



私の会った方々の思い出をシリーズ化の第2回目は、最初に勤務したA&A グループの創設者である山縣夫妻。

本社は、テキサス州フォートワース市。ダラス・フォートワース空港と呼ばれようにダラスの隣にある古い街です。


本社Tandyは、当時全米に7000店舗以上の直接家電小売店(Radio Shack)を持ち、北米以外にもイギリス、欧州、オーストラリアにも展開していました。A&Aは、そのRadio Shack向けの製品の買付け部門。OEM製品になるものを日本からシンガポールに至るアジア諸国からソーシングしていました。

A&Aはアメリカとアジアの架け橋となる事から命名された社名。もう一つの理由は、ビル案内板や電話番号帳でも一番最初に出て来て分かり易い。

戦後、満州から引き上げられた夫妻が滞在されたのが、私の故郷、防府市でした。その後、幼い子供二人を日本に残してニューヨークに渡り、日本電子部品の輸入販売を始められ大成功を納められた方々です。戦後の日本電子部品メーカーの創設者の方々は、この山縣夫妻と深いお付き合いがあった方々ばかりです。

入社二年目で本社転勤になり、独身生活をテキサスで三年間。その間は会社規定で一度も帰国ならず。インタネットのない80年代ですから、ある意味、陸の孤島でした。
世界初のモデム搭載ノートブック
マイクロソフト、アスキー、京セラの共同開発OEM製品
私のパソコンとの付合いが始まった最初の思い出深いプロジェクト
話しは逸れましたが、防府市の縁もあってかとても良くしていただきました。それが、東京に戻り一年後、同じA&Aから出た飯塚さんとDell Computerの極東部門を設立することに。先に辞めていた彼と前上司が絡んだということになると面倒になる。そこで嘘も方便で、田舎に戻って家業を継ぐということにしろ。そして、一ヶ月間休暇を取れというアドバイスを忠実に実行。

これが、自責の念に耐えない後悔になりました。ミスターはすでに他界され、ミセスはもう九十歳を越えられました。そのミセスから手書きの手紙を頂くようになれるまで二十年近くに歳月がかかりました。

入社、転職をする皆さん。

正直に真摯かつ誠実に望むのが一番。それが出来なかったのは、このシリーズでも触れた大学二次面接試験で馬鹿正直での失敗が頭にあったからかもしれません。いやそれは言い訳で自分自身で責任を取らずに他人にお任せしたためでしょう。

結果がどう転んでも、自分の気持ちに正直であることが一番大切だと断言できます。

4. 喫茶去


自信とは自分を信じること。

でもなかなか出来ないんだなあ!


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