Sunday, May 18, 2014
プログラミングと文章力
日経コンピュータの下記記事が目に留まりました。
私がサンディエゴ州立大学(SDSU)に交換留学で1年間在籍していたのが1981年。法律専攻でしたが、これからはコンピュータの時代だと思い、留学中でしか出来ない数学でプログラミングの授業を履修しました。そのプログラミング言語が、カリフォルニア州立大学(UCSD)で始まったUCSDパスカル言語でした。宿題が出されても自力で動かすプログラムは書けず、寮に住んでいた友人に助けてもらい宿題を終えた記憶があります。
常に「考える癖」の大切さを感じている私としては、プログラマーも文章力が必須だと思うのは同感です。単純にプログラムの規則を暗記したところで、受験勉強の歴史の年号を丸暗記するのと同等かもしれません。歴史の流れ、背景を理解すること。つまり、プログラムする事象の流れだけでなく、それがどう役立ち、何をするかという把握力は必要だと思います。そうでないと単なるバク処理の作業員で終わるでしょう。
文盲というのは、そのとおり文字が読めない人でした。しかし、最近は、文字が読めても読解力がない。例えば、ニュースを読んでも自分の身の回りの事象や世の中と照らし合わせて考えることができない。
そんな弊害が、戦後教育で出ているのではないかと感じます。
哲学思考というか、いろいろ思い悩むこと。空想する力などとても大切なことだと思います。暗記は答えがあるデジタル思考とすれば、考えることはアナログ思考。
我思う、ゆえに我あり
自分は何しに生まれてきたのだろう? それに向って歩いてきたか?歩いているのか?
最近、夕陽が沈むのを観ながら思うこの頃です。
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