Sunday, March 22, 2015

ラジオシャック倒産に思うこと 第2回

フォートワースダウンタウンのシンボルでもあったTandy Center
 左右2棟あり真ん中には屋内スケートリンク
そして、離れた駐車場からは電車が走っていました


入社して1年後。本社転勤を命じられて独身でフォートワース生活が始まったのが80年代半ば。当時の規定で3年間、個人帰国は許されておらず、インターネットもない時代、テキサスはまさに陸の孤島のような感じでした。

情報に飢えて、家族赴任の家庭3−4軒を回って2ヶ月遅れくらいで読む日本の週刊誌も隅々まで貪り読み、日本にいた時より芸能通(?)になってたりして。しかし、ジョン・シャーリーがMicrosoftに移籍してからRadio Shackコンピューター買付部門の迷走が始まりました。

夢のある製品から無難に売れるものへ。

赴任中、世界最初のIBM互換機ノートブックを出そうと東芝とタグも組みました。後に東芝の会長にまでなられた西田さんがまだ課長でサンプルを手に商談にわざわざ来て頂きましたが、冒険をしなくなったトップは採用せず。禍転じて福となすは東芝に。その製品がそのままDynabookとして東芝ブランドでデビューすることに。

当時の店舗数からいくと各店舗用に在庫1台はもつという単純計算でも初回注文が10000−15000台発注のあるRadio Shackは、新製品のテストマーケティングとして日本企業には良いパートナーだったと思います。

所帯が大きくなると無難な方向へ。つまり守りの態勢に。

しかし、そうでしょうか?

それを、会社の規模という単純な物差しで判断はできないと思います。

それを左右するのは、

経営トップのビジョンと胆力に他ならないのではないでしょうか?

「リスク回避」ということを言いますが、あまり好きな言葉ではありません。ネガティブな氣を発しているというか成功するイメージが沸きません。裏を返せば「責任を取らない」いや「取らなくていい」道を探しているように思います。決断に出会ったときには「責任を取る」道を選ぶことに全力を傾けたほうが、良い方向につながると思います。

それが、今の日本が置き忘れているものではないかと。

肌感覚でおかしいと感じる若者が、海外に出たり、いきなり起業したり。
無鉄砲にみえて、実は的を得ていると思います。

危険なのは、それをおかしいと感じない人。心地良いぬるま湯に浸かったままで、気がつくと茹でカエルでひっくりカエルにならないとも限りません。

(続く)

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