回想録 #16 デル退職の本音(1)
会社立上げよりも失敗シリーズを続けてみます。
デル極東部門の会社登記から立ち上げて、順風満帆とは言えませんでしたが、ストレスも相当ある一方、楽しく仕事のチャレンジをしていました。転職早々、数ヶ月で飯塚さんは手術入院。私の転職タイミングがズレていたらどうなっていたか? これも縁だと思いますが、ハードな仕事をこなしていた2人。健康だけは気をつけようということで人間ドックは全てのチェックを評判のいいしっかりとした病院で受けることにしました。
そして、6年近く経った頃の健康診断でひかかったのが眼。20年以上前はまだあまり言われていなかった正常眼圧緑内障と言われ、失明の可能性も将来あることを示唆されました。
実は、これが転職を考える大きな切欠となりました。仕事は充実していたし、本社からも副社長として本社に来ることを打診されたり、結婚して子供が出来てからは二子玉川から引っ越した、あざみ野での生活も子育てにはいい環境で全く不満なし。
しかし、もしこのまま自分が失明したら、家族はどうなるだろう?と考えるようになりました。ちょうど娘が6歳になって来年は小学校入学ともなると同じマンションの住人や知合いのなかでは、どこの小学校? お受験? などの話題も上り始めたのも同じ時期でした。
防府という田舎町で泳ぎは川で覚え、天神様や毛利邸の裏山を走り回って猿のような幼少を過ごしていた私としては、都会のお受験に違和感を覚えたのも確かです。今でも自慢は、田舎の竹馬の友。
上の娘が6歳で息子が3歳。自分は仕事経験、体力も充実している30半ば過ぎ。さてどうするべきか? 頭の隅にあったのは実家の商売を手伝っている妹2人に対する長男としての肩身の狭さみたいなものを持っていました。
子供を田舎と竹馬の友をもつ環境で育てる。親孝行、妹に対する気持ちなどいろいろ頭をもたげて来ましたが、仕事の面白さ、充実を考えるとデルを退職する選択肢はあり得ませんでした。
それがどう変わったのか?
そして、2度目の転職はどうだったのかを来週から続けてみます。
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