Sunday, June 16, 2013

よそはよそ、うちはうち! ー メルマガ6月16日号


今週の随感記 
今週の出来事や最近感じたりしたことについての独り言

先週シアトル時間日曜日の午後3時過ぎ(日本時間今週月曜日、朝7時過ぎ)に妹から電話。「金曜日に緊急入院した父に元気づける言葉でもかけて欲しい」と。すでに喋ることは出来ませんでしたが、頷きながらの返事だけは聞こえました。そして、電話を切った数分後、眠るように息を引き取りました。翌日には飛行機に飛び乗り帰国。友引で通夜、葬儀が1日遅れたことがあって間に合いました。きっと待っててくれていたのでしょう。

公と書いて「ただし」。名前そのままの漢でした。

幼少の頃、「よそはよそ、うちはうち!」が怒るときの口癖でした。

友達の持っている玩具が欲しくてねだったことがありました。怒られたときの言葉が「よそはよそ、うちはうち!」 当時、祖父母と暮していた家の裏が竹やぶ。しつこく強請る私を箱に詰めて、夜に竹やぶに置き去りにしました。それから一切、親にねだることはなくなりました。

また自分の子供だけでなく、他の子供にも分け隔てなく接していました。従兄弟も幼少の頃、同じ裏庭のイチジクの木に縛り付けられたことがあると話していましたが、逆に何か良いことがあって褒める時、他の子供が先で自分が一番最後でした。今では見かけない近所にいる怖い昭和の時代のオッサンだったのでしょう。

「人真似でなく、自分を持て」

「人と等しく、裸で付合え」

という教育方針だったと受け止めています。
しかし、スパルタ教育でした。

小学校1年生に上がったとき。教科書をいつもそこら辺りに放り出していて、いくら怒られても整理整頓が出来なかった子供。ある日、日課を揃えるのに教科書が見当たらない。放りだしたまま遊びにいっていた教科書を隠していました。泣き叫び、謝る自分にやっと教科書を出してくれたとき。とても冷たかった本。(冷蔵庫に隠していました)

それからです。小学生時代、真っ暗な部屋でも手探りで机の本立てから教科書、ノートを手にして日課が揃えられる。ランドセルの中を見ずに本の順番は覚えていて取り出せるほど整理整頓が出来るようになったのは。(最近、反省することがありますが....)

全く軸のぶれない親父でした。それは今思っても親父自慢です。

「公」のとおり、分け隔てなく人付き合いや私心を殺して物事に取組む男でした。個人的感情はあっても、大切な判断には大所高所から一番良い決断をする努力をしていたと思います。

「若いうちに外を観て来い!」高校2年生の夏に高校生向けのカリフォルニア州旅行に2週間出してくれました。大きなカルチャーショック!!

「よそはよそ。うちはうち!」でも世界は広い!

周囲の価値判断や世の中の風潮に囚われずに自分の価値観、判断で物事を考えることにさらに拍車がかかったと思います。

それが「親父は親父。俺は俺!」で敷かれたレールの上を歩く事が嫌で、家業を継がずに親父の影響が全くない業界へ縁あって飛び込みました。40歳を前に絶好調のデルを退社して、田舎に戻り家業を継いだ5年間は前にこのメルマガで触れましたが、その理由は両親には話していません。

そうした自分を観てどう思っていたのか?

帰国した晩、親父の側で一晩明かしました。その時に感じたのが「引継ぐ」ことではなく、「受継ぐ」こと。

「引継ぐ」は、本質だけでなくやり方までもすべてコピー。自分がない。
「受継ぐ」は、生き方の姿勢、哲学など本質を踏襲しても方法は自己流。

起業の際、100%アメリカのビジネスマンには聞かれることが、「What is your passion? (貴方の情熱は何?)」

生き方の姿勢や哲学と具現化しようとしているビジネスがマッチしているかどうか?だと思います。会社勤めでなく、起業するためにはこの姿勢は大切です。

「よそはよそ。うちはうち!」

そう、ナンバーワンにならなくてもオンリーワンになる!

公の息子が他の男と変わりない人生を描いていたら、親父は満足しないでしょう。

うちはうち!

親父の名前に恥じない漢であるためにもぶれないしっかりとした軸をもって、私利私欲で動くような軽い人間でなく、分け隔てない裸の付き合いを今後も続けていきたいと覚悟を新たにした週でした。


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購読料を支払って頂いている読者の方々には、今回事後承諾になりますが、父親への手向けとしてご容赦いただければ幸いです。